【町長コメント】令和6年能登半島地震を受けて(その2)
令和6年能登半島地震を受けて その2
令和6年1月2日
立山町長 舟橋貴之
令和6年1月2日(火曜日)午前1時15分に津波警報から注意報に切り替わりました。この時点で、町内の避難所開設場所は、立山町元気交流ステーション、立山町総合公園の屋内ドーム会議室、利田公民館、新瀬戸公民館、上東地域活性化センターです。この5か所に役場職員を配置していました。また、町の避難所として、開設したわけではありませんが、富山地方鉄道立山線が運休したためか、県立立山カルデラ砂防博物館に約80名の外国人(スキー客?)が避難しているとの情報があり、毛布を届けました。こちらは、富山地方鉄道株式会社が代替バスを手配され、21時までに解消しました。
夜明け6時過ぎに、各避難所に詰めていた役場職員の交代を行いましたが、8時までに避難者全員がご自宅等に戻られたので、全避難所を閉鎖しました。また、千寿ケ原(立山駅周辺)や芦峅寺の水道水に濁りが見られる点については、6時、水道課の職員が濁りの解消を確認しました。
当町は給水車を保有しているので、全域で断水となっている氷見市に給水車を向かわせることとします。さらに、県からの要請に基づき、氷見市の避難所運営支援要員として2名を派遣しました。
8時、役場庁舎内で第3回災害対策本部会議を開催し、改めて、被災箇所の有無について再調査するよう指示したところです。引き続き、水道管の漏水(道路が陥没していたら怪しい)など、お気づきの点がございましたら、役場にご連絡くださいますよう、お願いします。
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更新日:2024年01月02日