令和7年二十歳のつどい(2025年2月6日掲載 )

更新日:2024年09月24日

令和7年二十歳のつどい

令和7年1月10日に、立山町防災児童館複合施設(愛称 アカリエ)の竣工式を行いました。
(まだ、天井に太陽光パネルや外の大型遊具が完成はしていませんが)

施設のホールで最初に行った行事が、1月12日の二十歳のつどいになります。以下はそのスピーチ原稿です。

20歳を迎えた皆さんおめでとう。
50年前に建設された立山町民会館を解体し、このアカリエを作りました。駐車場は、昔、五百石小学校のグランドでした。そう、この辺りは、昔、五百石町だったのです。そして、五百石町が大森村、高野村と下段村が合併して雄山町となりました。雄山中学校という名称はこれが由来です。
その雄山町と、東谷、上段、釜ヶ渕、利田、立山、新川村と合併したのが、1954年の71年前です。当時の役場庁舎はここから東に300mほど、現在の五百石公民館、商工会がある土地にありました。
そのさらに東側で、昨年の12月12日に火事がありました。出火元は、昔、本屋さんでした。隣のまちなかファームがあった土地には、昔、北陸銀行が建っていました。
そうです。昔、町の中心部は、線路から東側だったのです。映画館、料理旅館が沢山ありました。いまは、その多くが空き地や駐車場になっています。

なぜ、賑やかだったかというと、五百石駅のそばに立山製紙株式会社があるでしょ。創業107年。昔は稲藁で紙を作っていました。周辺の農家が藁を持ち込むと、お金がもらえました。料理店で食事をし、お土産に和菓子を買い、着物も買う。線路は滑川の港につながっていました。ここは物流の拠点でもあったのです。
そのため、土地の価格が上がり、境界ぎりぎりまで家を建てる。しまいに隣の家と壁で接するほどになります。狭い路地の奥にも家を建てました。
ところが、法律が改正され、幅4m以上の道路に家が接していなければ、家を建て替えることができなくなりました。そのような家や土地は売れません。資産価値がないのと同じです。これが、まちなかに空き家が増えた原因の一つです。
隣が空き家だと不安で眠れない。火事になったら、変な人が住みついたら、と。
もちろん、都会のマンションだって、20年も経てば、どうなるかわかりません。

今日、皆さんにアドバイスできるのは、将来、家かマンションなどを買うときになって、その土地の歴史や地図をよく調べてからにすることです。
新しい住宅団地は、昔は人が住んでいなかった土地だということが言えます。河川がよく氾濫していたからかもしれない。地震で地盤が液状化するかもしれません。
そして、私からお願いしたいこと。
親の多くは、「私のことは心配しなくてもいいから、貴方はあなたの夢、好きな道を歩みなさい」と言います。
確かに、将来、何の仕事をしようが、どこに住もうが勝手ですが、20年、30年後、親が年老いたとき、「家の中で亡くなっていたのをご近所の人が発見した」、というような、可哀そうな最期にはさせないでほしい。
そして、自分の生まれ育った家の後始末ぐらいはちゃんとしてほしい。この町で頑張っている私たちの税金で、貴方たちの実家の始末をさせることだけは勘弁してほしい。
私は私で、20年後、県外の人から見て、「素敵だな」と感じてもらえるような、まちなかにするために「再設計」します。
皆さんは、日本の20年後はどうなっているか。そのとき、自分は最低限、何をしなくてはならないかをよく考えて、人生設計してください。

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