令和6年能登半島地震(2024年1月17日掲載 )

更新日:2024年01月17日

令和6年能登半島地震

令和6年能登半島地震において、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

「地震は正月休みだろうがお構いなくやってくる。日頃から、あらゆる事態を想定して備えておかねばならない」と再認識しました。
1月1日、16時10分、自宅から徒歩20分ほどの常願寺川の河川管理用通路(堤防上をアスファルトで舗装。富山県常願寺川公園と一体化しているので、天気の良い日は犬の散歩やジョギングする人が多い)に着いたばかりでした。スマホの緊急地震速報で大規模地震が起きたことを知りました。自宅に向けて走り出し、途中、家族の迎えの車に乗り込み、自宅でマイカーに乗り替え、16時35分に役場庁舎に到着しました。
庁舎には、職員非常配備基準「震度5弱」に基づき、防災担当をはじめとする該当職員に加え、マニュアルでは参集義務がない有志職員も集まりつつありました。
16時52分、町長室前廊下に各課長・局長等を集め(第1回災害対策本部会議)、立ったまま、現時点での参集職員名(戦力)の確認と、所管施設の被害状況を、随時、報告するよう指示しました。なお、当初は、町内各所から集まってきた職員の話を総合すると、町内の被害は軽微であると感じていました。ところが、数分後には、「役場正面玄関(標高67m)の外にトイレを利用したいという方が数名おられる」、「みらいぶ(町元気交流ステーション)の前にも人が、…」という報告です。まずは、元気交流ステーションを避難所として開設することを決め、体制を整えました。
しばらくすると、「町総合公園駐車場(標高91m)が車で一杯。公園敷地内のトイレが1か所しか使えないので、たてやまドーム(管理事務所兼屋内テニスコート)を開けて、トイレを使わせてほしい」という電話がありました。総合公園は公益社団法人立山町シルバー人材センターに管理を委託しています。元日は休館中なので誰もいません。そのため、町職員を現地に向かわせました。また、「(役場よりも標高が低い)利田小学校の前に人がいる」という情報を受け、「それなら、向かいの利田公民館を開けよう」といった具合に、町が避難所の開設をする前に、建物の外に人がいるので役場職員を派遣した、といった状況です。町職員が聴き取りをすると、避難者の多くが富山市在住の方でした。津波警報とテレビのアナウンサーの呼びかけを受けて、少しでも標高の高いところへと避難されて来られたのでしょうか。
また、電話を受けた職員の報告のうち、「そんなばかな。この時期に外国人、観光客がいるわけがないだろう」と私が声を上げたのが、「立山カルデラ砂防博物館に外国人200~300名が避難している」という通報です。立山黒部アルペンルート、ケーブルカーは運行していません。元日は博物館も閉館しています。情報を確認しようと電話をかけても、留守番電話。所管の県土木部に情報提供しました。その後、再び、博物館の中に人がいるという情報を受け、県土木部から、博物館の中にいるという県職員の携帯電話番号を聞き取り、そこで初めて、避難者は東南アジア系外国人80名ほどであるが、通報はほぼ正しいとわかりました。富山市にあるスキー場から富山地方鉄道立山駅に移動したが、電車が動かない。駅舎内にもいられないので、博物館職員が避難所として開放したということのようです。

1月2日の朝、辺りが明るくなってきた頃から、各施設の避難者は帰宅され出したので、順次、避難所を閉鎖しました。(県には、一時期最大7か所の避難所を開設したと報告しています。)

そこで、町避難所運営業務に朝から担当していた職員(2名)を、そのまま氷見市ふれあいスポーツセンター(避難所運営支援)に行かせ、さらに、水道課に給水車1台(2名)を氷見市に向かわせました。夕方にさらにもう1台(2名)を行かせました。(但し、2台目の給水車は3日の午後、機械の調子が悪くなったため活動日数としては1日半のみ。)

氷見市での給水支援業務は11日(木曜日)で終わりました。その他に、建築士資格を持った職員による被災建築物の応急危険度判定業務(建物に危険度を表す赤や黄、緑の紙を貼る作業)、避難所運営支援、保健師による在宅避難者で見守りが必要な方の健康管理訪問、射水市での罹災証明書発行業務支援に、町職員を派遣しています。
そして、消防署職員5名が、10日から3泊4日で石川県珠洲市に行っており、16日5時に第3次隊が出発しました。いずれも、富山県からの要請を受けてのものです。立山町消防署に勤める職員32名(消防長含む)のうち15人、ほぼ半数が被災地に行ったことになります。

さて、避難者に名前や住所を書いてもらう作業、水や非常食や毛布の配布、段ボールベッドの組み立て、保健師による健康管理といった避難所運営業務は、昨年6月28日と7月12日の豪雨災害で経験したばかりです。災害はいつかやってくる、のではなく、何度でもやってくるとして、備えを強化しなくてはならないと強く思いました。

今回の地震の経験を受けて、富山湾沿岸に津波警報が発せられた場合は、災害対策本部長(町長)の指示がなくとも、まずは、1か所(元気交流ステーション)を避難所として開設すること。なお、(仮称)防災センター・児童館「(愛称)アカリエ」が完成する11月からは、こちらに変更することを決めました。
また、非常食などの備蓄品を放出したので、補充に加え、他にも備蓄しておいた方が望ましいというモノもあるなと気づきました。

避難者が多数となった場合には、居心地は良くないけど、小中学校の体育館を使わなくてはならなくなります。但し、立山町の小中学校の体育館はエアコンが設置されていません。昨夏の猛暑を思うと、体育や部活動のためにも、すぐにもエアコンを設置してあげたいところですが、設置工事費よりも電気代が悩みです。電気の基本料金は、前年の最大デマンド値で決まるのです。1年間で一度でも大量の電気を使うと(最大需要電力、デマンド値)、それが翌年の基本料金に反映されるのです。

そこで、建築時には断熱性を考慮していなかった学校体育館の屋根の断熱塗装や窓の遮熱フィルム添付を令和6年度にも実施したいと考えています。まずは、雄山中学校の体育館を考えています。小学校の中では、釜ヶ渕小学校と利田小学校の体育館については断熱性が乏しいのですが、これらについては、改修すべきところがほかにもあるので、予算を確保できれば、大規模改造を進めたいと考えています。

終わりに、私はマイナンバーカードの活用も期待しています。能登半島地震による避難者は、住民以外に帰省者、そして、観光客が大勢おられたために、物資がすぐ底をつき、被災者数の把握にも苦労されたようです。もし、各避難所にマイナンバーカードから避難者の情報を読み取るシステム(アプリ)があれば、家族が別々の避難所にいたとしても、避難できているかどうかを知ることができます。富山市在住の方が立山町の避難所におられたとしても、瞬時に富山市の防災担当者が把握できるようになるのです。これこそ、富山県が主導して、このシステムの導入を進めてほしいと思います。

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