2008年8月19日町長コラム
篤姫の時代と常願寺川 2008年8月19日掲載
NHK大河ドラマ「篤姫」が高視聴率だそうです。6月から7月の放送では、第13代将軍、家定の正室として大奥にはいり、安政5年7月に家定が病死するまでを主に描いていました。ちなみに結婚生活はわずか1年9ヶ月でした。
ところで、家定が亡くなる3ヶ月前の4月23日に、彦根藩主の井伊直弼が大老に就任しました。井伊は安政の大獄や桜田門外の変でもよく知られております。実は、その3日後の4月26日(旧暦 新暦では6月7日)に、越中の常願寺川に予期せぬ大土石流が発生しました。
これにより、加賀藩領内(図1参照:現在の立山町を含む、主に常願寺川右岸の地域)だけでも、流失家屋1612件、死者140名を出す大災害が発生しました。なお、富山藩領内の被害が大きく、死者は千人を下らないとも言われています。
災害で水田は荒廃し、暮らしていけなくなった村人は、常願寺川の東側、つまり、現在の立山町に移り住んだようです。立山町の下段地区に、「向新庄」「一本木」「貫田」という集落がありますが、常願寺川左岸(現在の富山市)にある「新庄」「一本木」「貫田」から引越してきた村とのことです。
この大土石流災害は、その2ヶ月前に起きた「飛越地震(マグニチュード7と推測)」により、常願寺川上流の大鳶山、小鳶山の大崩壊によって堆積した土砂が天然ダムを形成し、その後の決壊が引き起こしたものです。以来、常願寺川はわが国有数の荒廃河川(暴れ川)と化し、富山平野に住む人々を苦しめてきました。
今年6月の岩手・宮城内陸地震による土石流被害が心配されていましたが、まさに他人事ではないのです。現在でも立山カルデラには約2億立方メートルの不安定な土砂が堆積しています。普段、下流域に住む私たちが目にする機会はめったにありませんが、千寿ヶ原からトロッコで1時間40分もかかる山奥で、102年前に常願寺川砂防工事が始まり、いまでも年間50億円もの国費を投入して、営々と砂防工事が進められているのです。おかげで、昭和44年の戦後最大の集中豪雨(44災害)でも、上流での土石流発生にもかかわらず、下流域には大きな被害が及ばなかったのです。
今年は、飛越地震から150年になります。
お知らせ
安政の飛越地震150年シンポジウム
- 日時 8月28日(木曜日)13時 開会
- 会場 富山国際会議場メインホール 無料です。どなたでも入場できます。
- 主催 国土交通省北陸地方整備局(富山河川国道事務所、立山砂防事務所)
富山県、富山市、立山町、舟橋村
更新日:2021年06月01日