2011年5月6日町長コラム

更新日:2021年06月01日

先人の偉業を辿って 2011年5月6日掲載

 立山町は今年度事業で、アルペンルート内の見どころを解説するモバイルサイトを多言語化することにしています。また、富山県観光課では、国内外の観光客に対するサービス向上策として、室堂ターミナルの観光案内所にいわゆる「山ガール」を配置していますが、立山町もイベントなどで連携し、立山黒部の新たな魅力づくりに努めてまいります。ただし、現状では今年度の観光産業は大変厳しいものになると予想されます。

 先月開催された立山黒部貫光株式会社取締役会で、今年4月の入込客数は対前年比4割であると報告されました。例年ならば、この時期は高さ17メートルにもなる「雪の大谷」を目当てに、台湾をはじめとする海外から多くの観光客がおいでになりますが、今年は苦戦しています。東日本大震災、特に福島第一原発の問題が東北・関東のみならず、この北陸地方の観光産業にも甚大な影響を与えています。

 ところで、今年6月1日に、立山黒部アルペンルートは全線開通 40周年を迎えます。そこで、これを記念し、立山町長を会長とする立山黒部アルペンルート広域観光圏協議会では、立山トンネル(全長3.7キロメートル)を歩くイベントの参加者を募っています。映画化もされた小説「黒部の太陽」により、大町トンネル(全長6.1キロメートル、現在は関電トンネルという)は、破砕帯突破という難工事により世紀の大事業として多くの人に知られていますが、実は立山トンネルにも破砕帯がありました。しかも、日本一の高所(2450メートル)であるため、空気が薄く、しかも低温という悪条件のもと、大町トンネルに劣らぬ困難を極めた難工事でありました。(注意:大町トンネルは起工から貫通まで1年7ヵ月に対して、立山トンネルでは3年7ヵ月もかかっています)さらに、一帯は国立公園であるために自然保護団体の強硬な反対があったことに加え、日本三霊山のひとつ、立山(雄山神社)の直下を貫くという構想でしたから、各方面から慎重・反対意見が寄せられました。また、黒部ダム建設のように発電を目的としたわけではないので事業資金にも苦労したのです。

 この難事業を発想し、成し遂げた人物が元衆議院議員で富山地方鉄道株式会社創始者でもある佐伯宗義氏です。長女の佐伯元子さんから、「父は当時、『大風呂敷だ。おかしいのではないか』などと、世間様からずいぶん批判されていた。」と伺いました。
しかし、氏は立山トンネルにより、長野県と富山県を貫く大動脈として、大町(関電)トンネルとの「一貫性」と、国際的観光地へと飛躍するための室堂・扇沢間の「一体性」を備えることを目指しました。社名(立山黒部貫光)の通り、まさしく「立山黒部」を「貫」き、「光」を注いだのです。立山トンネル工事は、もうひとつの「黒部の太陽」と言えるほどの偉業なのです。

 今年は、佐伯宗義氏没後30年にあたります。長引く経済不況と戦後最大の大震災により、日本人が自信を失いつつある今だからこそ、偉大な実業家の足跡とその理念に光を当てることによって、私達に困難を乗り越える勇気と自信を与えてくれるものと確信しています。

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