2009年3月12日町長コラム

更新日:2021年06月01日

いま やれることを 2009年3月12日掲載

 NHK大河ドラマ「天地人」が好調のようです。主人公の直江兼続は、出羽(山形県)米沢藩(注釈)の初代藩主、上杉景勝の家老になった人です。

 その上杉景勝から9代目に、上杉治憲という藩主がいました。上杉鷹山といった方が有名でしょうか。かつて、アメリカ合衆国第35代大統領のジョン・F・ケネディや42代のビル・クリントン大統領が、日本の政治家の中で最も尊敬する人物として挙げたと聞いています。

 その鷹山が18世紀半ばに日向(宮崎県)高鍋藩から藩主として養子に来た当時の米沢は、藩民が貧困に喘ぎ、村から逃げ出す人が続出するほどでした。会津では120万石だった石高が、米沢では15万石に減封されたにも拘わらず、家臣団の数はそのままとし、かつ、謙信時代の格式にこだわっていたのでは、財政破綻するのも無理もありません。

 その危機に際し、まだ17歳だった鷹山は、思い切った行財政改革に取り組みました。まず、家臣の数を石高(人口規模)に見合うまでに減らし、自らは倹約、つまり給与等カットを行いました。その一方、桑や漆の栽培などを奨励し、産業としての農業を育成したのです。また、厳しい財政状況下であっても、藩民の寄付を募りながら、藩校・興譲館を(現山形県立米沢興譲館高校)を再興し、教育に投資をしたのです。

 私は、立山町が今やらなければならないことは、第一に景気・雇用対策であり、第二に厳しい財政状況下であっても、将来を見据えた教育への投資であると考えております。

 また、福祉などの行政サービスの財源を確保できるように、役場をスリム化すること。つまり、職員数においては全国の類似町村とせめて同等程度までに削減に努めることが喫緊の課題です。そこで、当初、児童館建設の一助と考えて始めた給与カットでしたが、任期中については引き続き、2割カットを継続することに決めたところです。

 とは言え、景気・雇用対策といっても、戦後最大と言われる経済危機にあたって、立山町の限られた予算の中でやれることには限りがあります。しかし、全国の自治体がそれぞれ持てる力を存分に発揮することによって、結果的には、チーム日本としてこの難局をきっと乗り越えられると信じております。

 18世紀後半、天明の大飢饉がありましたが、米沢藩からは一人の餓死者もでなかったそうです。

(注釈)秀吉の時代に、越後から会津へ。家康の時代に出羽米沢へ

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