2018年4月27日町長コラム

更新日:2021年06月01日

みどり維新の町宣言から30年 2018年4月27日掲載

 天皇誕生日、みどりの日、昭和の日と名称が変わりながらも、ゴールデンウィークのスタートである4月29日が待ち遠しい方も多いことでしょう。

 30年前、昭和天皇が崩御されたため、平成元年4月29日がみどりの日と決まったことにより、立山町はこの日に「立山町みどりの憲章」を制定しました。前文には「みどり維新の町を目指します」と明記してあります。

 平成元年から遡ること2年、昭和62年の7月15日、森林学者の高橋延清東京大学名誉教授や、森林浴の森100選を提唱された朝日新聞の三島昭男先生(いずれも当時)らが呼びかけ人となり、京都で「緑維新京都宣言」が発表されました。
 なぜ、「維新」なのか? それは、日本は「第三の夜明け」を迎えなければならないという意思の表れでありました。第1の夜明けが、徳川幕府の鎖国政策を破り、近代国家へと脱皮した「明治維新」であり、第2の夜明けが、敗戦から立ち直り、高度経済成長、物質的繁栄を求めた「経済維新」であったと。しかし、いま、(昭和62年のことですが)文明の危機にのぞみ、自然の摂理に反した浪費文明を問い直すことから始めなければならない。そうした意識改革が世論を形成し、文明の危機を回避できるのではないか。そして、「維新と言えば、京都からだ。」ということだったそうです。

 大会当日、元環境庁長官で緑の地球防衛基金会長の大石武一先生がこう挨拶されておられます。「現状のままで推移すると、21世紀には地球上の森林の大部分は破壊され、人間はじめ200万種もの生物は絶滅の危機に瀕すると言われています。植物こそ生命の母です。この生命を育む自然に対して、せめて無秩序な破壊をしないことが、私たちにできる唯一の務めなのです。」と。

 これに共鳴したのが、当時、立山町長であった冨樫清二氏です。緑維新京都宣言の呼びかけ人の皆さんに教えを請い、平成元年4月29日 第1回「みどりの日」に全国初の「みどり維新の町」を宣言したのです。
 これを記念して、役場の正面広場には、3本の立山杉を素材にしたモニュメントを設置しました。その揮毫は、緑維新京都宣言の中心人物である、前述の三島昭男先生にお願いしたものです。また、翌年、平成2年の4月8日には、全国から多数の市町村長がこの立山町に集まり、日本の滝100選の選定式が行われました。

 なお、3本のモニュメントは、老朽化による倒壊の恐れのため、平成27年にやむなく解体・撤去しましたが、代わりに、無花粉杉の「立山森の輝き」を記念碑の隣に、子供たちと共に植樹しました。

 さて、あれから30年。当時、危惧していたとおり、地球温暖化が自然のみならず、人類の生存すら危うくしています。そのため、2015年のパリ協定を受けて、政府は、その事務及び事業に関する温室効果ガスの排出量を、2013年度を基準年として、2030年度までに40%を削減するという実行計画を策定しました。わが町においても、30%削減する計画を2016年度に策定し、町有施設におけるLED照明や高効率空調への切り替えなど、温室効果ガス削減と省エネに努めています。

 もちろん、町民一丸となって取り組まなければ、目標は達成できません。31年前の京都宣言では、「緑維新」のほかに「グリーン・ルネサンス」という文言もありました。「立山町みどりの憲章」を制定された先人の決意に改めて思いを致し、「みどり維新の町」に相応しい「環境施策先進の町」というシビックプライドを町民と共有し、木材の利用促進に併せて、その前提となる森林境界の確定作業や、温室効果ガス削減のための機器の導入などにこれからも努めてまいります。

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